- 2010-01-29 (Fri) 08:54
- 山の祭
山の祭 第1回【尾狩神楽】
今回は、一月十六日から十七日にかけて高千穂町尾狩地区で行なわれた、尾狩神楽に参加してまいりました。
尾狩神楽は、山中神社の山中様に、秋の収穫を感謝し、来年の豊作、家内安全、熱病の予防、氏子の繁栄を祈願する里神楽です。神社の氏子である、高千穂町の尾峰、狩底。日之影町の草仏、乙女の四つの集落の村人が神楽を奉納します。
山中神社は、江戸後期の修験道・山中坊を祀っています。疫病にかかった山中坊がある村を追い出され、たどり着いたのが、尾狩集落。村人は哀れんで、山中坊を世話したそうです。山中坊は村人に感謝し、「上から入る疫病は食い止めることはできないが、下から入る疫病はここでくい止めよう」と、村人に約束をして亡くなりました。村人は神社を建立し、山中坊を祀りました。今も変わらず、疫病や流行病から護ってくれる神様として、信仰されています。
「間違えました」。今年から、本格的に奉仕者(ほしゃどん・神楽の舞い手)デビューした、甲斐雅大君(11歳)が、舞いを間違えて少し悔しそうです。昨年デビューした飯干大地君(13歳)、弟の甲斐智己君(10歳)、弟の友人橋本敦也君(10歳)と、『東西』を舞いました。白い衣に身を包み舞う姿は、本当に神様にお仕えする奉仕者で、学校の学芸会のようなものではありません。十二月半ばから練習を始めたそうですが、とても立派に舞いました。こうしてこの地で生まれたものが神楽を学び、受け継いでいきます。
神様たちが神楽宿へ参りました。
『彦舞』は、神楽宿で、最初に舞われる一人舞いです。笛と太鼓が響き、サルタヒコが舞い始めると、さすがにちょっとした緊張と今年もいよいよ始まったのだという、実感がわきます。奉仕者も皆、舞い手をじっと見つめます。
舞いの中に、『山中様』もでてきます。村人は、自分の父親や祖父から、山中坊の話を口伝で教えられてきました。特に定まったものはないようで、それぞれに違う話を聞かせてくれます。なぜ、疫病を患った修験道が、神様となったのか?その背景には、なにがあるのか?とても興味深いのですが、それをはっきりと語れる人はいません。「じいさんがそういう話をしよった」。そう言って、山中神社を守り、山中様を大切にしています。
夜神楽でたまにあることですが、神楽を見ていた幼子が、引き込まれるように舞い始めることがあります。教えられなくても、笛、太鼓に合わせて、身体が勝手に反応するようです。それを見ると、神楽の村に生まれた血がそうさせるのだろうとか、舞う(踊る)という本能が人間のなかにあるのだろうなどと考えてしまいます。
小さな神様が、鍬を持って畦塗りをします。とても、リズミカルに上手に塗っていきます。隣で見ていたおじさんが、上手いもんだと声をもらします。
『田植神楽』。豊作祈願の舞です。牛が暴れまわり、観衆を沸かせます。次にでてきた四人の早乙女が、舞いながら激しくぶつかり合います。吹っ飛ばされて、観衆の中に飛び込みます。観衆も大笑いなら、舞い手も大笑い。神楽宿全体が、笑いに包まれます。
「女ん子は、百になっても家をもたん。氏神様が護ってくれるから、大事にせにゃいかん」。そう言われてきたから、毎年、尾狩神楽に帰ってくるという飯干千砂子さん(80歳)。「来ちょる人と、自然とさりげなく話すのが好き。神様の飯を食べるとが楽しみ」。そう言って、神様の焼酎を飲んで、眠ってしまいました。
剣を持って激しく回転する『岩潜り』。今は、模擬刀が使われていますが、昔は真剣が使われていたそうです。この後、二人舞、一人舞となっていきます。一人舞では、年配の奉仕者が、ぜぇぜぇしながら、畳の上を転げまわります。男衆から「もう、いっちょう!」の声、おばあさんがたまらず、「もう、かえらんでぇ~」と心配します。
『座張り』。激しく舞い踊ります。神様の頭にも血がのぼるようです。神庭だけには収まりきれず、観衆のなかに飛び込んだり、持っていた飾りのついた柄を柱に何度も打ち付けたり、見ていて怖いです。
『武知の舞』。風難よけの舞です。
『山森』。山の神に祈る舞では、銃を持って舞います。物騒だし、とても不思議です。夜神楽は、神代の昔の天岩戸伝説をモチーフにしていますが、その村の歴史や、様々なことが影響し、その都度その姿を変えてきたようです。銃もその中で、取り入れるようになったのでしょう。
『柱連口』。庭先の柱連柱から伸びた綱を二人の奉仕者が器用に辿りながら舞います。見ていても意味はわかりませんが、そこには何か深いものがあるのでしょう。誰が何のためにこういう舞を考えたのか?謎は、深まるばかりです。
代々受け継がれてきた神面。奉仕者が吐く息もまた、そこに染み付いてきました。同じ面でも舞によって、違う表情を見せます。神様が本当に生きてそこにいるようです。
紅一点とはよく言ったもので、『細女』だけは、とても柔らかい舞を見せてくれます。違う空間に迷い込んだようです。
『日の前』。岩屋を開けて、天照大神を地上に迎え入れます。人びとの心にも光が広がっていきます。
『雲下し』で、雲を降ろせば、夜神楽はお開きとなります。長い夜が開けました。本当に凄く長い時間の旅の中に僕たちはいました。時に過去へと遡り、時に未来へとタイムスリップする。だけれども、変わらず夜神楽はあり、それを中心に村の暮らしが営まれています。何世代にも渡って伝わってきた夜神楽には、それだけの喜びと楽しみがあるのだと思います。
真っ直ぐに朝日が差してきます。全てのものが清められ、新しいエネルギーが満ちていきます。
神楽宿のご主人で、奉仕者でもある甲斐勲さん(61歳)。「今年は子どもたちを中心に練習をしてきました。子どもは覚えが速いです。神楽が好きな子ほど、覚えがいい。一度舞ったら忘れんし、大人になっても心に残っていると思います」
朝飯を食べながら皆、和やかな顔になっています。空は晴れ渡り、御幣が風に揺れています。「今から寝ると、中途半端な時間になるとよな」。そう呟いて、役目を終えた奉仕者が家路につきました。
(レポート 藤木哲朗)
今回は、一月十六日から十七日にかけて高千穂町尾狩地区で行なわれた、尾狩神楽に参加してまいりました。
尾狩神楽は、山中神社の山中様に、秋の収穫を感謝し、来年の豊作、家内安全、熱病の予防、氏子の繁栄を祈願する里神楽です。神社の氏子である、高千穂町の尾峰、狩底。日之影町の草仏、乙女の四つの集落の村人が神楽を奉納します。
山中神社は、江戸後期の修験道・山中坊を祀っています。疫病にかかった山中坊がある村を追い出され、たどり着いたのが、尾狩集落。村人は哀れんで、山中坊を世話したそうです。山中坊は村人に感謝し、「上から入る疫病は食い止めることはできないが、下から入る疫病はここでくい止めよう」と、村人に約束をして亡くなりました。村人は神社を建立し、山中坊を祀りました。今も変わらず、疫病や流行病から護ってくれる神様として、信仰されています。
「間違えました」。今年から、本格的に奉仕者(ほしゃどん・神楽の舞い手)デビューした、甲斐雅大君(11歳)が、舞いを間違えて少し悔しそうです。昨年デビューした飯干大地君(13歳)、弟の甲斐智己君(10歳)、弟の友人橋本敦也君(10歳)と、『東西』を舞いました。白い衣に身を包み舞う姿は、本当に神様にお仕えする奉仕者で、学校の学芸会のようなものではありません。十二月半ばから練習を始めたそうですが、とても立派に舞いました。こうしてこの地で生まれたものが神楽を学び、受け継いでいきます。
神様たちが神楽宿へ参りました。
『彦舞』は、神楽宿で、最初に舞われる一人舞いです。笛と太鼓が響き、サルタヒコが舞い始めると、さすがにちょっとした緊張と今年もいよいよ始まったのだという、実感がわきます。奉仕者も皆、舞い手をじっと見つめます。
舞いの中に、『山中様』もでてきます。村人は、自分の父親や祖父から、山中坊の話を口伝で教えられてきました。特に定まったものはないようで、それぞれに違う話を聞かせてくれます。なぜ、疫病を患った修験道が、神様となったのか?その背景には、なにがあるのか?とても興味深いのですが、それをはっきりと語れる人はいません。「じいさんがそういう話をしよった」。そう言って、山中神社を守り、山中様を大切にしています。
夜神楽でたまにあることですが、神楽を見ていた幼子が、引き込まれるように舞い始めることがあります。教えられなくても、笛、太鼓に合わせて、身体が勝手に反応するようです。それを見ると、神楽の村に生まれた血がそうさせるのだろうとか、舞う(踊る)という本能が人間のなかにあるのだろうなどと考えてしまいます。
小さな神様が、鍬を持って畦塗りをします。とても、リズミカルに上手に塗っていきます。隣で見ていたおじさんが、上手いもんだと声をもらします。
『田植神楽』。豊作祈願の舞です。牛が暴れまわり、観衆を沸かせます。次にでてきた四人の早乙女が、舞いながら激しくぶつかり合います。吹っ飛ばされて、観衆の中に飛び込みます。観衆も大笑いなら、舞い手も大笑い。神楽宿全体が、笑いに包まれます。
「女ん子は、百になっても家をもたん。氏神様が護ってくれるから、大事にせにゃいかん」。そう言われてきたから、毎年、尾狩神楽に帰ってくるという飯干千砂子さん(80歳)。「来ちょる人と、自然とさりげなく話すのが好き。神様の飯を食べるとが楽しみ」。そう言って、神様の焼酎を飲んで、眠ってしまいました。
剣を持って激しく回転する『岩潜り』。今は、模擬刀が使われていますが、昔は真剣が使われていたそうです。この後、二人舞、一人舞となっていきます。一人舞では、年配の奉仕者が、ぜぇぜぇしながら、畳の上を転げまわります。男衆から「もう、いっちょう!」の声、おばあさんがたまらず、「もう、かえらんでぇ~」と心配します。
『座張り』。激しく舞い踊ります。神様の頭にも血がのぼるようです。神庭だけには収まりきれず、観衆のなかに飛び込んだり、持っていた飾りのついた柄を柱に何度も打ち付けたり、見ていて怖いです。
『武知の舞』。風難よけの舞です。
『山森』。山の神に祈る舞では、銃を持って舞います。物騒だし、とても不思議です。夜神楽は、神代の昔の天岩戸伝説をモチーフにしていますが、その村の歴史や、様々なことが影響し、その都度その姿を変えてきたようです。銃もその中で、取り入れるようになったのでしょう。
『柱連口』。庭先の柱連柱から伸びた綱を二人の奉仕者が器用に辿りながら舞います。見ていても意味はわかりませんが、そこには何か深いものがあるのでしょう。誰が何のためにこういう舞を考えたのか?謎は、深まるばかりです。
代々受け継がれてきた神面。奉仕者が吐く息もまた、そこに染み付いてきました。同じ面でも舞によって、違う表情を見せます。神様が本当に生きてそこにいるようです。
紅一点とはよく言ったもので、『細女』だけは、とても柔らかい舞を見せてくれます。違う空間に迷い込んだようです。
『日の前』。岩屋を開けて、天照大神を地上に迎え入れます。人びとの心にも光が広がっていきます。
『雲下し』で、雲を降ろせば、夜神楽はお開きとなります。長い夜が開けました。本当に凄く長い時間の旅の中に僕たちはいました。時に過去へと遡り、時に未来へとタイムスリップする。だけれども、変わらず夜神楽はあり、それを中心に村の暮らしが営まれています。何世代にも渡って伝わってきた夜神楽には、それだけの喜びと楽しみがあるのだと思います。
真っ直ぐに朝日が差してきます。全てのものが清められ、新しいエネルギーが満ちていきます。
神楽宿のご主人で、奉仕者でもある甲斐勲さん(61歳)。「今年は子どもたちを中心に練習をしてきました。子どもは覚えが速いです。神楽が好きな子ほど、覚えがいい。一度舞ったら忘れんし、大人になっても心に残っていると思います」
朝飯を食べながら皆、和やかな顔になっています。空は晴れ渡り、御幣が風に揺れています。「今から寝ると、中途半端な時間になるとよな」。そう呟いて、役目を終えた奉仕者が家路につきました。
(レポート 藤木哲朗)
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